登録文化財とは何か【北羽新報2012.10】

先日、名古屋で行われた建築学会大会の際、「登録文化財の保存と活用」という研究協議会が開催された。そこで、その内容も含め「登録文化財としての能代市議事堂をどうするか」について、改めて考えてみたいと思う。

なお、最初にお断りしておきたいのは、筆者は市役所・議事堂の登録文化財化の際の各種委員会等には一切のかかわりを持っていないし、今回の問題について公的に意見を求められたこともないことである。

ここでは一研究者として、客観的な立場での意見・感想を書いていこうと思う。

 

  • 「登録文化財」とは

一般に言う「文化財」は「人類の文化的活動によって生み出された有形・無形の文化的所産のこと」であり、「文化財保護法」では「有形文化財」「無形文化財」「民俗文化財」「記念物」「文化的景観」「伝統的建造物群」の6種類を規定している。そのうちの「有形文化財」には「建造物」以外に「美術工芸品」があるのだが、ここでは「建造物」に絞って話を進めよう。

この「有形文化財」はさらに「指定文化財」と「登録文化財」、それに「指定」も「登録」もされていないものに分けられる。

「指定文化財」には、国が指定する「国宝」や「重要文化財(重文)」以外に都道府県や市町村が指定するものがあり、秋田県でも国および県指定の建造物が24件ある(県北にある国の重文では「阿仁異人館」「大館八幡神社本殿」「旧小坂鉱山事務所」「康楽館」、能代市では県指定重文として「多宝院」「檜山浄明寺山門」、市指定として「母体八幡神社拝殿」「朴瀬熊野神社拝殿御室」)。

これらは、建築後おおむね100年以上経過したがほとんどであり、比較的最近の建造物は「指定文化財」の対象外と考えられていた。そしてとくに高度経済成長期、明治期以降の建築物は「老朽化・劣化・耐用年数・生活様式の変化・使いにくい・再開発の邪魔」といった理由のため、社会的評価を受けるまもなく、あっさり解体され、消滅していったケースが増えていった。しかしそれは、その地域での文化や歴史を語るうえで欠かせない建築物が、写真や書物、それに語り伝え以外にはなくなることを示し、できることなら「現物」として残す方が、地域文化を幅広く後世に継承していくために有効であることは明白である。

平成7年の阪神・淡路大震災が起きた。そのとき被災地域にあった比較的最近(といっても、主に大正・昭和期)の素晴らしい建築物の多くが被害を受け、その再建・改修がままならないため、解体されそうになったとき、それを護るために「文化財保護法」が改正され「登録文化財制度」が付け加えられたのである。

「登録文化財制度」はその名のとおり「登録制」である。すなわち、その物件の持ち主が県を通じて文部科学省・文化庁に「申請」を行い、内容が審査されたうえで「登録」される。そして国から、必要な指導・助言・勧告を受け、持ち主が保護措置を講じる制度であり、この点では、従来の指定制度(重要なものを厳選し、許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)とは異なっている。

そのため、指定文化財と登録文化財ではいくつかの点で運用に差がある。

まず修理等に対する取扱いである。なんらかの被害を受けたとき、両者とも所有者または管理団体が修理を行うことになるが、「指定文化財」では「多額の経費を要し、所有者又は管理団体がその負担に堪えない場合には、政府は補助金を交付することができる(第35条要旨)」とされる。県指定の場合は「秋田県文化財保護条例」で同様の記載がされている。それに対し「登録文化財」では「所有者が行う(第63条)」と記されているのみであり、指定文化財の場合のような補助金等についての規定は記されていないし、県条例ではそもそも対象外になる。

また、「指定文化財」は抹消することができないのに対し、登録文化財では「重要文化財や地方公共団体の指定文化財になったとき」、および「その保存及び活用のための措置を講ずる必要がなくなった場合、その他特殊の事由があるとき」は、その登録を抹消することができる(第59条)。

登録抹消の例として、旧二ツ井町の「天神荘(旧合川営林署本館・別館)」がある。このときの理由はいわば特殊な理由に相当する「水害」であるし、今回の東日本での津波被害によって数多くの登録文化財が抹消された。また、持ち主が「個人」の場合、そうした災害がなくとも経済的な理由からその保存・維持が困難となり、登録を抹消・解体せざるを得なくなった例も多い。「金勇」も登録文化財であるが、能代市に移管されなかった場合、どのようになっていたか、考えてみるとよい。

 

  • 「文化財」を護る

「文化財保護法」の精神を少し眺めてみよう。

第1条(法律の目的):この法律は、文化財を保存し、且つ、その活用を図り、もつて国民の文化的向上に資するとともに、世界文化の進歩に貢献することを目的とする。

第3条(政府及び地方公共団体の任務):政府及び地方公共団体は、文化財がわが国の歴史、文化等の正しい理解のため欠くことのできないものであり、且つ、将来の文化の向上発展の基礎をなすものであることを認識し、その保存が適切に行われるように、周到の注意をもつてこの法律の趣旨の徹底に努めなければならない。

第4条(国民、所有者等の心構):2.文化財の所有者その他の関係者は、文化財が貴重な国民的財産であることを自覚し、これを公共のために大切に保存するとともに、できるだけこれを公開する等その文化的活用に努めなければならない。

とある。また、

第182条(地方公共団体の事務):地方公共団体は、文化財の管理、修理、復旧、公開その他その保存及び活用に要する経費につき補助することができる。

ともある。このあたりの法律的な解釈は、やや専門外ではあるが、以上の法律の趣旨からみれば、本来、仮にそれが「無指定」あるいは「非登録」の文化財であっても、この条文は適用されるべきなのである。

ましてや、市議事堂は登録文化財なのであり、しかも市のホームページには、

「旧能代市での市庁舎及び市議会議事堂の歴史的価値の調査結果を踏まえ、国の登録有形文化財の申請をし、文化財登録原簿へ登録されました。(中略)市議会議事堂に関しては、モダンかつ重厚なデザインであり、県下では類を見ない貴重な建造物であるとの評価を得ています。これらの建築物を、将来的にも能代市民共有の地域のシンボルとして後世に残し、市内外に広くアピールしていきたいと考えています。」

また、経過は、

「平成18年11月8日 市が文化庁へ登録申請

平成19年3月16日 文化審議会が登録有形文化財に登録するよう文部科学大臣へ答申

平成19年7月31日 文化財登録原簿への登録

平成19年8月13日 文部科学大臣の告示」

と、紹介されているわけだから、所有者は「これを公共のために大切に保存するとともに、できるだけこれを公開する等その文化的活用に努めなければならない」という義務と責任は一層大きいはずである。

確かに「登録文化財」は法制度上、合理的理由があれば抹消することができる(ただ、市町村等の建造物が財政的理由をもって「抹消・解体」されたというケースは皆無と聞く)。したがって「市」がこうした提案の前にまず行うべきは「如何にして護り、後世に残すか」の観点から広く市民に意見を問うことであったはずだ。

「いったいどのような経緯で登録文化財の解体提案に至ったのか。もっと説明が必要なのでは」と訝しく思う市議・市民が少なくないのは、こうした「周到な注意」を怠ったところにある。

「木都」と自他ともに認める能代市が、戦後建てられ、現在ほとんど残っていない、しかも「登録文化財」にもなっている「木造建築物の解体」を提案する、などというのは、僕には全く理解できない、どうにも信じられないのである。

 

  • その「価値」は

一方、市議事堂の「価値」そのものを問う論調も少なくはない。もともと「登録文化財にすべきではなかった」という意見である。

確かに「価値」を計るのは難しいし、人によって評価の基準が異なるのは当然である。学者とそうでない人の間ではもちろん、学者内でも違うことがよくある。

冒頭に書いた「登録文化財の保存と活用」という研究協議会の中で、この件に関し発言されていた先生がおられた。少し難しくなるが、彼の話を紹介してみよう。

評価の原則としては、

①普遍性:その建物が建設された当時を代表する建造物であるかどうか

②特異性:その建物が建設された当時にはなかった建造物であるかどうか

③多様性:その建物が「使いやすさ」「強さ」「美しさ」を兼ね備えているかどうか

④複数の評価法の併用

が必要である、といっている。このうち、①と②は相反するようにも思えるが、演者の先生は、こうした様々な視点からその建物を見つめ直し、「一つの建物としてだけではなく、町全体の秩序」や「先人への遠慮と礼儀」、そして「ものを大切にする姿勢を示す存在」として考えるべき、とおっしゃっていたような気がする。

このような観点からの私見を述べる。

まず、時代背景である。

北羽新報、1950(昭和25)年10月1日号を手に入れた。「市有建物總合落成式―官廰街面目を一新近代化成る」とある。この前年の1949年2月20日午前0時30分頃、能代市に大火が発生し、全市の半分、市役所を含む官庁街が消滅した。市役所・議事堂が再建されたのはその20か月後のことだった。

新聞には「新能代建設の都市計画事業も八分通り完成、市の中心官庁街はもちろん材木界、商店界も復興全くなり、茲(ここ)に市制十周年の輝かしい記念日を迎えた。市制施行当時は文字通り貧弱を極めた官庁街も躍進能代市を表象し、モデル公共建築物として全国に推奨されている市庁舎をはじめ、各官庁は面目を一新した。」と、実に意気軒昂である。

戦争が終わったのは1945年、その4年後の大火、能代市はいわばダブルパンチを食らったのである。その復興のシンボルとしての官庁街再建であったはずだ。

そして新聞では、現存の市庁舎・議事堂に加え、警察署・消防署・公民館・保育園がそれぞれ紹介されているのであるが、面白いのは、議事堂以外の建物については使用構造材が明示されているにも関わらず、議事堂が木造であることは記載されてない。これは推測であるが、施工がRC(鉄筋コンクリート)造である市庁舎と同じ清水建設であり、また、その様子がいわゆる「木造」らしからぬことから、これもRC造と思い込んでいたかもしれない。どうも、市庁舎とのバランスを考えて、あえてこのような設計したようにも思える。

そう考えると、普遍的材料である木材(県大板垣先生の報告書によれば、トラス部材はすべてスギ材―たぶん<天スギ>である)を使って合理的に構造設計がされ、かつ市庁舎と一体化した当時の木造らしからぬ景観を呈した、やや特異な建物、という見方も可能なのだが、いかがであろう(確か、秋田公立大の澤田先生もそのようなことをおっしゃっていた)。

そして、内部は……。これは実際に見ていただいた方がよい。

 

  • 他の木造と比較してみる

これを「金勇と同列に見るのはいかがなものか」、また「これくらいの建物はほかにもあるのではないか」という意見もある。

「金勇」については、その調査に筆者も参画した。このとき「金勇」の材料を調べたのであるが、確かに天井板と柱には素晴らしいスギを使っているものの、小屋トラスや床構造はアカマツ・ベイマツ主体であり、床下にはエゾ・トド、あるいは部屋によっては集成材まで使われている。また基礎も無筋コンクリート、図面に記されていたアンカーボルトも実際には見当たらない、という、やや「杜撰な工事」といった感じすら受けた部分もあった。

この調査結果によって「金勇」の歴史的価値が下がるとはないだろうが、こうした内容が市民に十分通じているとは思えない。また、金勇内部が一般市民に広く公開されるようになったのは、比較的最近の話なのではないだろうか。それまでは市民にとって、なかなか近寄りがたい「高級料亭」だったのだと思う。

その意味では金勇と議事堂は「用途」「材料」「景観」「時代背景」、それぞれが異なるから、同じ評価軸で優劣をつけることはできないし、してはいけない。

それに議事堂は決して「粗末な工法で造られている」わけではない。調査報告でも「築後60年の物件としては一部を除き深刻な劣化状況はない」とされており、日本海中部地震でも「金勇」同様、大きな損傷はなかったようである。それより、地元能代工業出身の市役所職員、いわば無名の方が、当時としてはごく普通のスギ材(確かに、いわゆる銘木級ではないが、これとて今では手に入りにくい)を使って、1950年当時にこれだけモダンな建物を設計したこと、あるいはそれを地元の建設業者が建てたことの方を、市民としては、むしろ誇りに思うべきである。大御所の先生の示唆があったかどうかは、大きな問題ではない。

ついでに言えば、第4庁舎の履歴も初めて知った。これが移設物件で、しかもこのくらいの建物が市内のそこらじゅうにあったのだとすれば、それはすごいことなのである。これを文化財にするかどうかは今後の議論を待たなければならないが、せめて構造や材料の調査をしたうえで価値を判断し、少なくとも資料として残すことくらいはすべきであろう。簡単に壊すことだけはないようにしてほしい。

そう考えると、今回「旧天神小」は救われることになったものの、東雲中・常盤小中・浅内小・第4小の旧校舎は何の調査も行われずに解体・廃棄されてしまったし、旧二ツ井地区の廃校群もいずれその憂き目にあいそうな予感がする。何らかの手を打つべきだろう。

 

  • では

しかし、やはりついて回るのは市民の負担の問題と仮に残した場合の使い勝手・耐震性・断熱性・耐久性についてである。

残すとなれば、構造を含め、現行基準に従ったかなりの改修、あるいは使い勝手の改善は必要だろう。それによってさらに数十年の延命は十分に可能で、その時には「指定文化財」にすることさえできる。また、改修のレベルをどこまで考えるかによって、費用はかなり変わるはずであり、また、内容によっては、その改修工事に地元関係者が関与できる部分がかなり多くなると思う。こうした点も考えながら市民の負担を減らす努力は当然必要である。

それに、当初「耐震補強に7,800万(北羽6月1日)」と言っていたのに、いつの間にか「設備機器の更新を含め約1億2,800万円」と報道され、こちらの数値の方が独り歩きしているようにも思われる。

仮に解体し新庁舎内に議事堂を造るとしても同様のお金はかかるようだ。ただRCで造るとなると、大手建築業界・ゼネコンの出番であり、地域の業界はその下請けになるのは明白である。そして新庁舎が何年使えるか分からないが、仮に50年維持できたとしても、それは市の象徴としての「登録文化財」として評価できるようなものになっていくのであろうか。非常に気になる。またこれが耐用年数に達したとき、今回と同じ問題が発生するであろう。

「登録文化財」は国宝・重文と異なり地域の歴史文化や個性を示す文化資源として認知され、県内でも170が登録されている。幸いなことに「登録文化財」はかなりの改修・状態変更が認められており、全国的に保存と活用のための様々な創意工夫も蓄積されている。たとえば、県内の同じ登録文化財である鹿角市の旧関善酒店はNPOに移管され「関善賑わい屋敷」として使われているし、最近では横手の「旧平源旅館」などは、外観はそのままに「そこまでやるか」という感じすらする「結婚式場」に改修されている。ほかにも参考になるいろいろな改修事例がある。今回の提案をいったん棚上げし、そうした経験をひろく勉強したうえで議事堂の改修、場合によっては用途転用も含めた展望を検討する場を設けることが、まず必要なのではないだろうか。

もし、議事堂が改修・保存されていけるのならこれを優良改修事例として広く全国に発信できると思うし、さらに「金勇」「井坂記念館」「風の松原」、その他の廃校となってしまった学校群や、かなり多いと思われる市内の諸建造物ともつなげ、「木都能代」の貴重な郷土遺産、地域教育の場、そして観光資源として考えて行くことができるはずである。

解体してしまえば、跡地に「看板」か「記念碑」か何かが一つ建つ、いや、「昔、ここにこんな建物が建っていましたとさ」と写真が数枚残るだけであろう。

 

 

 

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